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2012/03/16(金) 23:59:59

【サッカー】町田ゼルビア・津田和樹、MBA修了 皆さんは“MBA”という言葉をご存じだろうか?

1 :うんこなうρ ★:2012/03/14(水) 00:04:48.66 ID:ςςς0
皆さんは“MBA”という言葉をご存じだろうか? 日本語では「経営学修士」と訳される。企業の採用や待遇を左右する学位で、ビジネスエリートの代名詞とも言えよう。MBAコースは単なる研究機関でなく、具体的な事例から実践的なノウハウを得る「鍛錬」「リーダー育成」の場。世界の大企業経営者はMBAだらけだし、日本国内でも楽天の三木谷浩史会長、トヨタ自動車の豊田章男社長が取得者だ。

FC町田ゼルビアの津田和樹選手はそんな難関にチャレンジし、先日、青山学院大学のMBAコースを無事に修了した。現在29歳の津田選手は、国学院久我山高を卒業後にJ1清水で3年、J2甲府で1年プレー。しかし出場は4年で1試合に留まり、彼は自らが生まれ育った町田に戻る。東京都1部リーグで、Jリーグを目指して活動していたFC町田ゼルビアに加入したのが2005年のことだ。

津田選手はゼルビア入りと同時に、勉強の両立を始めた。最初の1年を受験の準備にあて、2006年に東京学芸大学教育学部生涯スポーツ科に合格を果たす。「幸か不幸か早めにクビを切られた」ため、まだ一般推薦の受験資格があった。高校時代の内申書と小論文、実技などによる試験をクリアし、23歳の大学1年生が誕生した。当時のゼルビアは仕事や通学とサッカーを掛け持ちする選手が多く、練習は夜に行われていた。津田選手は昼間に通学し、大学と練習と掛け持ちしていた。

津田選手が東京学芸大で得たものは、知識や学位に留まらない。同級生には現在ゼルビアのチームメイトである鈴木崇文選手がいて、「ずっと一緒に授業を受けていた」という仲だった。「ゼルビアに来る気は全くないと言っていた」という鈴木選手は、4年次にJクラブ入りを寸前で逃し、行き場を失ってしまう。そんな彼を「ウチに来なよ」と津田選手が誘い、クラブは有望な左利きMFを手に入れた。

大学を4年で卒業した津田選手は、青山学院大学大学院国際マネジメント学科に進む。「両立生活が心地よかったし、経営のことに興味があった」ことが入学の動機だ。津田選手には「サッカー選手がトップに立っているクラブは、なかなかない。一般企業も考えているけど、最終的にはサッカーへ戻って来たい」というクラブ経営に対する志がある。彼とFC町田ゼルビアの想いを叶えるスキルを身につける場が、MBAコースだった。

青山学院大学のMBAコースは2年間。JFL昇格後の練習時間は昼間に移ったが、「社会人学生が7〜8割で、夜にも授業がある」という形態のため、両立は可能だった。ただ授業は最大週8コマで、「毎日のように出ていました」という課題も負担になる。津田選手はそんな生活を「時間配分は相当厳しかったです。サッカーに必要不可欠なことに費やす時間以外は、ほとんど勉強していました」と振り返る。内容は当然ハイレベルで、資料が全て英語という授業もあった。3年ほど前に受験したTOEICのスコアが815という津田選手だが、そんな日々で鍛えられ、「今やれば、もうちょっと取れる」と言う。英語が堪能な彼は、スコットランド出身のコリン・マーシャル選手とも「普通に会話できている」とのこと。

津田選手はプレーヤーとしても、歩みを止めなかった。彼は東京都リーグ、関東リーグ、JFLとステップアップするゼルビアで中軸を担い、昨季はキャプテンも務めた。8年ぶりとなるJリーグの舞台でも、左サイドバックとして不動のレギュラーを張っている。風貌とプレーはむしろワイルドで、豪快な駆け上がりが持ち味だ。

学校とサッカーの両立生活にピリオドを打つ津田選手だが、空いた時間を持て余すことはない。「MBAを取ったから何か生まれるわけではないし、ここからやれることはいくらでもある。勉強は生涯にわたって続くこと」と次のステップに意欲満々。サッカーはもちろん「オフ・ザ・ピッチ」でも活躍が期待できそうだ。

http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00134104.html


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2012/03/16(金) 23:59:59

【将棋】「将棋名人戦」 トップ棋士の死闘史、今年は節目の400年

1 :依頼511@落花流水ρ ★:2012/03/14(水) 19:12:12.73 ID:ςςς0
今年は将棋の名人が誕生して400年の節目。日本将棋連盟は年明けから「将棋名人400年祭」を添えたイベントを随時展開している。名人の起源は江戸時代の慶長17(1612)年、幕府が将棋指南役の「将棋所(しょうぎどころ)」を、将棋家元の大橋宗桂(そうけい)(1555〜1634年)に定めて保護したのが始まりとされている。プロ棋士になる誰もが一度は夢見る将棋名人とは−。

江戸時代は「家元制度」が取られていた。将棋家元は、大橋家、大橋分家、伊藤家の3家。当時の名人は、この3家から選ばれる「世襲制」だった。強さや品格などを備えた者が名人に推され、いったん就位すると死ぬまで名乗った。

名人は11月17日に江戸城で将軍上覧の中、対局を披露した。「御城(おしろ)将棋」といわれる。この伝統は今も日本将棋連盟に受け継がれ、11月17日を「将棋の日」と定めている。

明治に入って家元制度はなくなり、大正13年に日本将棋連盟の前身となる東京将棋連盟が結成された。昭和10年には、終生就位最後の名人だった関根金次郎十三世名人が「棋道隆盛のため」名人位の返上を発表。同年、毎日新聞社が名人戦を創設し、勝ち取って名乗る実力制の名人戦がスタートした。

しかし、道は決して平坦ではなかった。日本将棋連盟との契約金交渉の不成立から25年の名人戦で主催は朝日新聞社に移り、53年に再び毎日新聞社に。平成20年からは朝日・毎日両新聞社の共催となった。

実力制になって以降、大山康晴(1923〜92年)−升田幸三(1918〜91年)、中原誠(64)−米長邦雄(68)、羽生善治(41)−谷川浩司(49)、羽生−森内俊之(41)ら棋界トップの棋士たちが数々の名勝負を繰り広げ、ファンに感動を与えてきた。

節目の第70期将棋名人戦七番勝負は4月に始まる。その顔合わせは、森内名人−羽生棋聖・王位。森内名人は名人通算6期で十八世、羽生棋聖は通算7期で十九世の永世名人の資格を持っている。今度が7回目の顔合わせで、過去は3勝3敗の五分。羽生棋聖にとってはリターンマッチとなる。

名人戦は将棋界に7つあるタイトル戦の中で、各9時間という最長の持ち時間で、1局を2日間かけて戦い、どちらかが4勝した時点で試合終了となる七番勝負である。

ほかの6つのタイトル戦は、極端に言えば新四段になってすぐにタイトル保持者になるのが理論上可能。しかし、名人戦は、大舞台に登場するにはC級2組〜C級1組〜B級2組〜B級1組、そしてA級と各1年かけてリーグ戦を勝ち抜き、七番勝負に勝たないと名人にはなれない。A級には最短でもプロになって4年、名人には5年かかるのだ。

今年は羽生棋聖が、大山十五世名人と並ぶタイトル獲得通算80期のタイ記録を81期に更新し、単独トップに躍り出る可能性がかかる注目のシリーズとなる。

■名人戦以外のタイトル
【棋聖戦】(産経新聞社主催)持ち時間各4時間の1日制五番勝負=1日で決着をつける戦い。早く3勝した方が勝ち。1年2期制から平成7年に1年1期制に移行。第67期(8年)で羽生善治七冠の一角を三浦弘行五段=当時=(38)が崩した。

【竜王戦】(読売新聞社主催)持ち時間各8時間の2日制七番勝負、渡辺明竜王(27)が8連覇中。

【王位戦】(新聞三社連合主催)同2日制七番勝負、7〜9月の真夏に行われる。

【王座戦】(日本経済新聞社主催)同各5時間の1日制五番勝負、昨年秋、20連覇をかけた羽生善治棋聖が敗れた。

【棋王戦】(共同通信社主催)同各4時間の1日制五番勝負、挑戦者決定トーナメントに敗者復活戦制度がある。

【王将戦】(スポーツニッポン新聞社・毎日新聞社主催)同各8時間の2日制七番勝負。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120314/shg12031408020000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/images/news/120314/shg12031408020000-p1.jpg


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