Athletic GeeK

諸君、私はサカ速が好きだ。私もサカ速が大好きだ。


2009/11/06(金) 23:59:59

【訃報】殺陣師、大野幸太郎さん死去 〈仮面ライダー、ゴレンジャーなど担当〉

1 :● ◆SWAKITIxxM @すわきちφ ★:2009/10/31(土) 19:49:42 ID:ςςςP
大野幸太郎さん(おおの・こうたろう=殺陣師)が10月30日、急性胆嚢(たんのう)炎で死去、76歳。通夜は4日午後6時、葬儀は5日午前11時から東京都新宿区上落合3の34の12の落合斎場で。喪主は長男幸裕さん。

64年に大野剣友会を設立。テレビ「仮面ライダー」「秘密戦隊ゴレンジャー」などで変身ポーズや殺陣を担当した。

asahi.com
http://www.asahi.com/obituaries/update/1031/TKY200910310271.html


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2009/07/19(日) 21:17:04

【文芸】「夏目漱石という存在はすでに我が国の共有文化財産です」…孫の夏目房之介さん「夏目漱石財団」に対し反対の立場を表明★5

1 :デニウ損▲φ ★:2009/07/16(木) 10:50:42 ID:ςςς0
最近、僕のところに「夏目漱石財団」なるものを設立したので協力してくれとの手紙が届いた。一部の親族が関わっているらしいが、僕の連絡した親族たちは困惑し、いささかうんざりしている。放置しておくと混乱も予想されるので、急きょ相談の上以下のような文書を報道機関、出版社、博物館などに送付した。各方面に周知し、良識的な判断を望みたい。 2009.7.12 夏目房之介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みなさまいつもお世話になっております。
このたびは、漱石長男純一の息子・夏目房之介として、夏目漱石に関連することでお知らせがございます。
本年6月17日付で私のもとに「夏目漱石財団」設立の知らせ及び協力要請の手紙と、一般財団登記の事項説明書コピーが送られてきました(同様のものが漱石長女筆子の娘・半藤末利子宛にも送付)。
それによると設立は本年4月1日。

(中略)

財団登記の規制緩和による設立のようですが、こうした動きには、私も半藤末利子も関与しておりませんし、また協力するつもりもありません。夏目沙代子家以外の他の親族からも、この話は聞いておりません。また登記された「目的」にある「人格権」はそもそも相続されないもので、何らかの権利が相続されるとすれば権利の管理に関しては相続者全員の同意が前提のはずですので、「目的」自体、不可解な部分の多いものです。

ご存じのように漱石の著作権は戦後すぐに消滅しております。その後も、著作物の利用、演劇・映画化など翻案、あるいは漱石写真の利用、漱石イメージのCM利用など、様々な場合の問い合わせが父・純一や私のもとに参りました。が、私の代になってからは、消滅した著作権に関する案件はもちろんのこと、他の利用もすべて一切の報酬を要求せず、介入もしないことを方針にしてきました。

(>>2以降へ続く)

■ソース:「夏目漱石財団」なるものについて:夏目房之介の「で?」
http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2009/07/post-25af.html
■前スレ(★1:2009/07/13(月) 23:40:54)
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1247587529/


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2009/06/19(金) 07:36:01

【文芸】太宰治16歳頃の写真見つかる…あどけない表情、左胸には『優等生バッジ』

1 : ◆kyaku/V3ok @自由席の観客φ ★:2009/06/15(月) 23:07:13 ID:ςςς0
左胸には「優等生バッジ」、太宰治16歳頃写真見つかる

 19日に生誕100年を迎える作家・太宰治(1909〜48年)が写った旧制青森中学(現・県立青森高校)の集合写真が見つかった。

 3年生の16歳頃とみられ、あどけない表情で腕組みする姿が収められている。

 青森市の主婦田村則子さん(66)が父親の遺品の中から見つけ、青森県五所川原市教委が15日、公表した。

 木下巽教育長によると、1925年春頃の撮影で、左胸には「優等生バッジ」が、左腕には級長の腕章が見える。

 太宰と同じ北津軽郡出身の計28人が写っており、1年生の弟、礼治氏の姿も。

 田村さんは、弘前大学(青森県弘前市)が4月、17歳の太宰の写真を発表したのをきっかけに、父親が一緒に写った集合写真のことを思い出したといい、「父は『バッジは優秀な人だけが付けるんだ』と語っていました」と振り返った。

画像:旧制中学時代の太宰治
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20090615-260623-1-L.jpg

画像:腕を組んで集合写真に収まる太宰治(前から2列目の左端)
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20090615-260692-1-L.jpg

ソース:読売新聞(2009年6月15日22時34分)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090615-OYT1T00712.htm

関連スレ
【文芸】気難しいけど…10代女性半数以上が「太宰治好き」
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1244804694/


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2009/06/07(日) 06:20:58


【鵜飼】日本三大鵜飼いの一つ「観光ウ飼い」、谷岡三郎さんら3人の鵜匠が見事な手綱さばきで鵜を巧みに操る…愛媛・大洲

1 :そまのほφ ★:2009/06/02(火) 22:53:13 ID:ςςς0
 愛媛県大洲市を流れる肱川(ひじかわ)で、日本三大鵜(う)飼いの一つ「観光ウ飼い」が始まった。昭和32年から始まり、今年で53回目。観光客らは鵜を巧みに操る鵜匠(うしょう)の手綱さばきに歓声をあげていた。

 初日の1日は、河川敷にある「うかいレストプラザ」の乗船場で神事や開幕式が行われた。その後、招待客や観光客約400人が34隻の屋形船に分乗し、川魚料理を楽しみながら、夕暮れせまる2・7キロの川を下りながら鵜飼いを満喫した。

 午後8時、暗闇の中に「かがり火」がたかれた3隻の船が登場し、谷岡三郎さん(37)ら3人の鵜匠が、見事な手綱さばきで4、5羽の鵜を操った。水中に消えた鵜がアユを捕らえて水面に姿を現すと、観客から拍手が沸き起こった。

 観光ウ飼いは9月20日まで。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090602/trd0906022023013-n1.htm
始まった観光ウ飼い。鵜匠に操られた鵜がアユを捕獲すると、屋形船から歓声があがった
http://sankei.jp.msn.com/photos/life/trend/090602/trd0906022023013-p1.jpg
http://sankei.jp.msn.com/photos/life/trend/090602/trd0906022023013-p2.jpg


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2009/06/05(金) 12:24:35

【落語/コラム】あのとき落語が変わった 1978年、円生の落語協会分裂騒動

1 : ◆GinGaOoo.. @銀河φ ★:2009/05/30(土) 15:21:14 ID:ςςς0

 オーソドックスな古典派から、何が飛び出すかわからぬ新作派まで、現代の落語家は多士済々。「落語ブーム」なんて呼ばれるいまが当たり前と思うなかれ、下手すりゃかしこまって鑑賞すべき「古典芸能」になっていたかもしれないのだ。もし、保守本流のあの人が、反旗を翻さなかったら。(井上秀樹)

 金びょうぶを背にした黒紋付き姿の男たちが、報道陣の前に並んでいた。78年5月、東京・赤坂プリンスホテル。古典落語の第一人者、三遊亭円生が突如落語協会脱退を決めた。記者会見では、人気落語家を連れ出して「落語三遊協会」を発足させる、と打ち出した。

 「原理主義者」と呼ばれるほど円生は芸に厳しく、落語協会の会長時代は実力のない落語家を真打ちにさせなかった。会長を継いだ五代目柳家小さんは一転、大量の若手を真打ちに昇進させた。円生は強く反対し、たもとを分かった。

 マスコミは「落語協会分裂騒動」と書き立てたが、大勢はあっけなく決着する。古今亭志ん朝を始め新協会に参加予定だった主な落語家は、次々と落語協会へ復帰となった。円生は弟子たちを率いて奮闘するが、約1年後に急死した。

 この騒動が、一人の奇才落語家を花開かせる。

 三遊亭円丈、当時33歳。円生に入門し、分裂騒動の2カ月ほど前に真打ち昇進したばかり。円生の死後、落語協会に復帰した。

 騒動のさなか、新作落語のネタおろし会「実験落語」を始めている。

 「一生を賭けるんだったら、自分しかできない落語をやりたい」が、円丈の信条だ。落語人気は下降しているのに、昔ながらの古典ばかりが評価され、演じ手も古典をなぞるばかり。新作といえば、鈴木君と山田君が会話するような、台本作家による古典の焼き直しが目立った。「現代を感じない。もっと面白くできるのでは」。潜在能力を引き出せていない新作がもどかしかった。

(続く)

画像:落語協会脱退の記者会見で語る三遊亭円生(中央)。右は古今亭志ん朝=78年5月
http://www.asahi.com/showbiz/stage/rakugo/images/TKY200905300096.jpg

asahi.com
http://www.asahi.com/showbiz/stage/rakugo/TKY200905300097.html


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2009/05/30(土) 02:17:53


【文芸】二葉亭四迷、ロシア革命家に手紙 交流を裏付け

1 : ◆GinGaOoo.. @銀河φ ★:2009/05/25(月) 16:02:15 ID:ςςς0

 小説「浮雲」で知られる作家・翻訳家、二葉亭四迷(1864〜1909年)が、1906年1月から翌年10月にかけて、長崎に滞在する亡命ロシア人革命家にロシア語で手紙を出していたことが分かった。自筆の書簡4通とはがき1枚がモスクワのロシア連邦国立文書館で見つかった。二葉亭とロシア人革命家の交流が裏付けられたのは初めて。ロシア革命に関する本の翻訳に、革命家から借りた本が使われていたことも分かった。【杉尾直哉、モスクワ大木俊治】

 「強い興味を持ってロシアの革命運動を学んでいる」などと書かれた手紙は、サンクトペテルブルク在住の古文書研究者ガリーナ・ドゥダレツさんが発見し、澤田和彦・埼玉大教養学部教授がコピーを入手した。澤田教授によると、二葉亭が長崎に滞在したロシア人革命家と交流したことは推測されていたが、初めて具体的に裏付けられた。今月26日発売の雑誌「文学(5・6月号)」(岩波書店)で澤田教授が詳細を発表する。

 書簡は、著名な革命家ニコライ・ラッセルあてが1通。残りは別の活動家ボリス・オルジフあて。いずれも本名の「長谷川辰之助」名で、巧みな筆記体で書いている。当時、二葉亭は朝日新聞に雇われており、ラッセルあての手紙は同紙の便せんを使っていた。

 07年にオルジフに出した手紙では、「(日露戦争のロシア軍司令官)クロパトキンが書いた本をどこで、どのように入手できますか。東京のある新聞が要点を書き、センセーションを巻き起こした。入手して完訳できればその新聞より詳しく紹介できる」と書き、他社のスクープ記事を完訳で出し抜き返したい気持ちをつづった。また、オルジフから借りた本を使って1907年に短編「志士の末期」を翻訳したことも今回分かった。澤田教授は「革命家たちとの交流目的の一つはロシア語文献の入手だったようだ」と話している。

二葉亭四迷が革命家ボリス・オルジフにあてたはがき(右が表、左が裏)=ロシア連邦国立文書館提供
http://mainichi.jp/select/wadai/news/images/20090525k0000e040083000p_size5.jpg

引用元:毎日jp  2009年5月25日 15時00分(最終更新 5月25日 15時00分)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090525k0000e040055000c.html



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2009/05/16(土) 17:13:34

【文芸】困窮伝える永井荷風の書簡発見 終戦翌年、知人に布団頼む

1 : ◆GinGaOoo.. @銀河φ ★:2009/05/13(水) 15:41:35 ID:0

 小説「☆東綺譚」などで知られる作家永井荷風(1879−1959年)が、自らの戦後の困窮の様子などをつづった書簡が13日までに見つかった。空襲で焼け出された後、知人に布団を送ってもらうよう頼むなど、生活に腐心する姿が分かる。耽美的で孤高、「隠者」とも評される荷風の珍しい一面がうかがえる。

 書簡は46年8月17日付。親しかった歌舞伎役者の市川左団次(40年死去)の妻にあてた封書で、近況に続けて「(夜具は)ずゐぶん汚い品物ですから御所持の御ふとん 杏花子(左団次)の形見故是非おゆづり下さるやう御願致ます」と頼んでいる。

 荷風が「偏奇館」と名付け、1人暮らした自宅は45年の東京大空襲で焼失、戦後は千葉県市川市でいとこ一家と同居を始めた。隣室のラジオの音などに「さわがしく夜もべんきやうすることが出来ません」と記し、「今のところ麻布へ家をたてるわけにも行きません」と預金封鎖で苦しい事情を伝えている。

 封書は今年冬、東京都内の古書店で売りに出された。騒音に閉口した当時の姿は、荷風の日記「断腸亭日乗」にも見られるが、布団のことなどは書かれていない。

 中島国彦早大教授(日本近代文学)は「人との暮らしにリズムが合わない様子などを裏付ける新発見の書簡だ。文学的評価とは別に、困窮した姿がより具体的にうかがえる点が興味深い。同居によって、弱さや隠れていた人間性が文面に表れたのだろう」と指摘する。

(注)☆はサンズイに墨

困窮の様子を伝える永井荷風自筆の書簡
http://www.nnn.co.jp/knews/090513/images/2009051301000206.-.-.CI0002.jpg

ソース:日本海新聞 2009年05月13日 09:46
http://www.nnn.co.jp/knews/090513/20090513056.html




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2009/05/09(土) 14:59:59

1 :依頼@堂山無敵φ ★:2009/05/08(金) 09:46:50 ID:ςςς0
豪快かつ華麗な棋風で魅了し、若手育成にも尽力した囲碁棋士九段、名誉棋聖の藤沢秀行(ふじさわ・ひでゆき、本名保〈たもつ〉)さんが8日午前7時16分、東京都内の病院で死去した。83歳だった。

横浜市生まれ。「初もの」に強いといわれ、62年にタイトル戦初の名人位(第1期旧名人戦)に就いたほか、48年青年棋士選手権戦、57年首相杯争奪戦、59年日本棋院第一位決定戦、69年早碁選手権戦、76年天元戦、77年棋聖戦と新設された棋戦の第1期で次々と優勝を飾った。5歳上の坂田栄男九段とは何度もタイトルを争うライバル関係にあった。70年に再び名人となり、50歳を過ぎた円熟期の77〜82年に棋聖位を6連覇。92年、67歳での王座戦防衛は、タイトル獲得の最年長記録になっている。ほかにもプロ十傑戦、NHK杯などに優勝し、タイトル獲得数は歴代11位の23。

また「秀行塾」(しゅうこうじゅく)を主宰して、依田紀基九段、弟子の高尾紳路九段ら若手の指導に努めた。98年に現役引退。99年にはアマチュア向けに独自免状を発行すると発表して話題も呼んだ。97年に勲三等旭日中綬章。

酒豪で、競輪や競馬も好む無頼派でもあった。50代後半にがんを患い、その後も大病を繰り返していた。晩年は書の個展も度々開いた。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0508/TKY200905080048.html



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2009/04/29(水) 22:20:39


1 :翠薔薇▲▲φ ★:2009/04/27(月) 23:26:36 ID:ςςς0

 「しまった、地雷にやられた」。大将や工兵、スパイ、ヒコーキにタンク…。裏返しになった駒が何かを推理し、敵の総司令部の占領を目指す。ぶつかりあう駒の勝ち負けに、集まった仲間たちと一喜一憂した。一九七〇年代後半だったか。少年時代がよみがえる。

 「軍人将棋」。行軍将棋とも呼ばれる。中高年の男性なら「友だちとやった」と思い当たる盤ゲームだ。

 元祖とされる「大型行軍将棋」が、二一(大正十)年創業の室内娯楽品の老舗「奥野かるた店」(千代田区神田神保町二)で今も販売されている。黄とオレンジに色分けした木製駒に、階級や兵器の印を押しただけのシンプルさは、当初から変わらない。

 同店会長の奥野伸夫さん(78)によると、考案したのはJR浅草橋駅前にあった同業の「西口商店」。初代店主の西口栄助さんが明治末、山形県天童市の駒職人に製作を依頼したのが始まりという。紙箱には、○に「榮」のロゴが今もある。

 戦略や駆け引きの面白さが受け、太平洋戦争前後の四〇年代が人気のピークに。「将棋の王将などから大将などの軍人が浮かんだのかも。当時は兵隊遊び感覚で、縁台で楽しんだ」と奥野さん。

 その後の兵器開発に合わせて「ミサイル」などの新兵器を駒に加えたものや、プラスチック駒も考案された。五〇年代までは売り上げのかなりを軍人将棋が占めたという。

 しかし八〇年代、盤ゲームはテレビゲームに主役を奪われた。軍人将棋は審判も必要で三人以上集まらないとできない。販売数は年々減少し、西口商店は二〇〇一年に会社を整理。先代から懇意にしてきた奥野さんの店が軍人将棋の商標権を無償で引き継いだ。

 既にプラスチック駒の製造は昨秋中止され、木製のものも在庫数十個限りという。「最近の子らが向かうのは、相手のいないゲームばかり。昔の遊びは対話し、友情や親交を深めるツールだった。それだけに絶やしたくないが…」と奥野さん。「人と人のコミュニケーションがもっと見直されていい。その意味じゃ、軍人将棋もまだまだ捨てたもんじゃない」と笑った。 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20090426/CK2009042602000053.html



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2009/04/26(日) 08:20:59

1 :依頼、受けましたわーっ!@翠薔薇▲φ ★:2009/04/23(木) 20:21:28 ID:0


米カリフォルニア出身で、日本棋院所属の囲碁棋士、マイケル・レドモンド九段(45)が23日、王座戦予選で小松英子三段(46)に先番7目半勝ちし、通算500勝(331敗2分け)を達成した。欧米出身ではほかに3人がプロ棋士になっているが、500勝到達は初めて。日本棋院では史上85人目。

レドモンド九段は10歳のころ、物理学者で囲碁ファンだった父親から手ほどきを受けた。14歳で来日、プロの登竜門である院生となり、81年、入段を果たした。初勝利は同年6月。

新人王戦準優勝、第13回世界囲碁選手権・富士通杯で国内予選を勝ち抜いて日本代表となるなどの成績を挙げてきた。テレビの囲碁番組の解説者としても人気がある。

レドモンド九段は「囲碁は変化が無限にあり、やってもやっても分からないのが魅力。次は1000勝をめざしたい」と話している。

(2009年4月23日19時10分 読売新聞)

写真:マイケル・レドモンド九段
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20090423-403232-1-N.jpg

記事元:レドモンド九段が通算500勝、欧米出身では初めて
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090423-OYT1T00768.htm




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